年を重ねるにつれ、「死」が身近になってきました。私自身はまだおかげさまで健康ですが、近年、義父や叔父、叔母の葬儀に参列しました。葬儀はみな仏葬でおこなわれました。「仏教」も身近になってきたように感じます。
「四苦八苦」に対し、宗教はどう答えているのか? とても考えさせられる一冊です。
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宗教は人を救えるのか (角川SSC新書) Kindle版
解決できない苦しみや悲しみを、どう受けとめて生き抜いていくのか。これは人間に課せられたとても大きな課題です。なかでも「老い」「病(やまい)」「死」に関わる苦悩は、誰であっても、どんな時代であっても、いかんともしがたい面があります。この問題に向き合うために、仏教だけでなく、キリスト教、イスラム教、儒教など、人類の知恵の結晶でもある宗教体系から学び、どうすればより心の安寧につながるのかを会得していくのが本書の狙いです。また、悲嘆と向き合うための手がかりに宗教儀礼がなるのか、巻末で展開される社会学者・多村至恩氏との特別対談も必読!
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2014/6/12
- ファイルサイズ1664 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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商品の説明
著者について
釈 徹宗 (しゃく・てっしゅう)1961年、大阪府生まれ。浄土真宗本願寺派如来寺住職。相愛大学教授。特定非営利法人リライフ代表。論文「不干斎ハビアン論」で第5回涙骨賞受賞。著書に『法然親鸞一遍』『いきなりはじめる仏教生活』『ゼロからの宗教の授業』ほか。
登録情報
- ASIN : B00KSV95J8
- 出版社 : KADOKAWA (2014/6/12)
- 発売日 : 2014/6/12
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1664 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 228ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 338,559位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,358位角川新書
- - 5,173位思想
- - 6,213位哲学・思想 (Kindleストア)
- カスタマーレビュー:
著者について
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上位レビュー、対象国: 日本
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2014年5月21日に日本でレビュー済み
成熟化社会の現在でも、
誰もが、
何かしらの不安を抱くのは、
いつの時代も変わらないのではなだろうか。
私自身の話をすれば、
若者特有のざわざわした未来への不安を感じ、
そして、現在、
中年としてはらはらした未来への不安を抱いている。
本書は、宗教という観点から多様な哲学的視点を用い、
著者が考えるこれからの「生き方」が伝えられている。
とりわけ、私自身がなるほどと深く納得させられたことは、
人間として生まれた限り、
常につきまとう「不安」との付き合い方を教えられ、
すこし自分の心があきらかになったような気がし、
頭も心もすこし軽やかになったこと。
なぜか心のざわざわにふりまわされている方に、
自らの心身の声を促してくれる、おすすめの一冊。
誰もが、
何かしらの不安を抱くのは、
いつの時代も変わらないのではなだろうか。
私自身の話をすれば、
若者特有のざわざわした未来への不安を感じ、
そして、現在、
中年としてはらはらした未来への不安を抱いている。
本書は、宗教という観点から多様な哲学的視点を用い、
著者が考えるこれからの「生き方」が伝えられている。
とりわけ、私自身がなるほどと深く納得させられたことは、
人間として生まれた限り、
常につきまとう「不安」との付き合い方を教えられ、
すこし自分の心があきらかになったような気がし、
頭も心もすこし軽やかになったこと。
なぜか心のざわざわにふりまわされている方に、
自らの心身の声を促してくれる、おすすめの一冊。
2014年10月19日に日本でレビュー済み
病気や肉親の死など辛い出来事で、生きていくのがしんどくなった人が読む価値のある本だと思います。
浄土真宗の僧侶が書いた本なので、それなりに大乗仏教の考え方を前面に出してはいるけど、キリスト教や儒教、イスラム教の考え方にも触れているし(なぜか神道は無視)、無宗教でガンと闘って無くなった学者の話も出てくるので、あまり個別の宗教に興味がない人でも最後まで読めます。とくに難病のALSで徐々に動けなくなっていく人が自分の死と直面する部分は強く印象に残りました。
結局は、執着を徐々に手放すよう努力するしかない、という話でした。死の前では、人は確かにあきらめるしかありませんが、現代の文明というのは人が「あきらめない」ことによってここまで繁栄したのも事実です。もしエジソンが発明への執着心を持たなかったなら、電球は今も無かったでしょうし、中村修二教授がすぐあきらめていたら青色ダイオードも無かったでしょう。エボラ熱の治療薬だって、あきらめない医者が必死の執念で作り出したものです。本当にあきらめる事が積極的な意味を持ちうるのか、私にはまだよくわかりません。きっと読者の立つ立場によってこの本の感想は違ってくることでしょう。
浄土真宗の僧侶が書いた本なので、それなりに大乗仏教の考え方を前面に出してはいるけど、キリスト教や儒教、イスラム教の考え方にも触れているし(なぜか神道は無視)、無宗教でガンと闘って無くなった学者の話も出てくるので、あまり個別の宗教に興味がない人でも最後まで読めます。とくに難病のALSで徐々に動けなくなっていく人が自分の死と直面する部分は強く印象に残りました。
結局は、執着を徐々に手放すよう努力するしかない、という話でした。死の前では、人は確かにあきらめるしかありませんが、現代の文明というのは人が「あきらめない」ことによってここまで繁栄したのも事実です。もしエジソンが発明への執着心を持たなかったなら、電球は今も無かったでしょうし、中村修二教授がすぐあきらめていたら青色ダイオードも無かったでしょう。エボラ熱の治療薬だって、あきらめない医者が必死の執念で作り出したものです。本当にあきらめる事が積極的な意味を持ちうるのか、私にはまだよくわかりません。きっと読者の立つ立場によってこの本の感想は違ってくることでしょう。
2014年5月19日に日本でレビュー済み
宗教を論じながら「あきらめる」と言われると、「病は気から」とか「幸せは自分の考えよう」といったミツヲ的な処世訓・処世術を思い起こしてしまいますが、本書は全くの別物。仏教に代表される「あきらめる」ことは、ハイパーモダンであるところの現代社会と対峙するための強力なツールになりうることが分かります。
死と直面した正岡子規やALSを患った甲谷匡賛氏の(ある意味で)あきらめざるを得ない死生観を例に出しながら、生きにくい(逝きにくい)現代を脱構築していく論旨は圧巻です。
人間の可能性の無限性を信じ、かつそれを前提として世の中はドライブを続けてきましたが、「進歩」の結果として私たちは、(気付かないうちに)何を失い、(無自覚なうちに)何に束縛されるようになったのか。著者の問いかけは、平明な言葉ではありますが、その照射する先は広くて遠いモノだと感じました。小児サヨクに流れず、復古主義的保守にも流されないのは、イマドキの物書きの立ち位置として立派! であります。
また、本書では、仏教の「六波羅蜜」の実践を説いています。これも「仏教を生きるツールして使うと、いいことありますよー。使ってみてくださーい」と言っているワケで、決して仏教のありがたさを全面に押し出してはいません。でも、読み進めていくと、自分の内なる宗教的霊性に、フッと取り込まれているのに気付いたり……。それはそれである種気持ち良かったりするのでありますが、「これが時代を生き延びてきた伝統宗教の強さなのかな」とも思いました。
著者は浄土真宗の僧侶にして、大学教授、NPO(認知症高齢者のグループホーム)の代表。此岸でのたうち回っている人々に寄り添ってきた結晶が本書なのではないでしょうか。
死と直面した正岡子規やALSを患った甲谷匡賛氏の(ある意味で)あきらめざるを得ない死生観を例に出しながら、生きにくい(逝きにくい)現代を脱構築していく論旨は圧巻です。
人間の可能性の無限性を信じ、かつそれを前提として世の中はドライブを続けてきましたが、「進歩」の結果として私たちは、(気付かないうちに)何を失い、(無自覚なうちに)何に束縛されるようになったのか。著者の問いかけは、平明な言葉ではありますが、その照射する先は広くて遠いモノだと感じました。小児サヨクに流れず、復古主義的保守にも流されないのは、イマドキの物書きの立ち位置として立派! であります。
また、本書では、仏教の「六波羅蜜」の実践を説いています。これも「仏教を生きるツールして使うと、いいことありますよー。使ってみてくださーい」と言っているワケで、決して仏教のありがたさを全面に押し出してはいません。でも、読み進めていくと、自分の内なる宗教的霊性に、フッと取り込まれているのに気付いたり……。それはそれである種気持ち良かったりするのでありますが、「これが時代を生き延びてきた伝統宗教の強さなのかな」とも思いました。
著者は浄土真宗の僧侶にして、大学教授、NPO(認知症高齢者のグループホーム)の代表。此岸でのたうち回っている人々に寄り添ってきた結晶が本書なのではないでしょうか。