本屋で目に付き深く考えずに購入しました。本書は鈴木大拙氏が最晩年に書いたエッセイ集ということで、短い論考がたくさん集まっていますが、最晩年に書かれたこともあって、著者の思想の集大成とも言える本でした。そして非常に示唆に富む興味深い本でした。禅だけではなく老子、孔子なども参照しながら、さらにキリスト教や欧米の詩人、作家などにも言及しつつ、「東洋的な見方」とは何かについて論じています。
本書でたびたび登場する最も重要な主張は、「東洋は分別される前の未分の状態に関心が高いのに対して、西洋は分別すること、分別された後のことに関心が高い」というものでしょう。私はこの言葉を読んで、人間における受精卵とそれが分化した内胚葉(消化器系)、外肺葉(神経系、感覚器)、中胚葉(筋肉、骨、血液)のイメージを持ちました。前者が「未分」の状態で、後者が「分別」された状態だからです。あるいは物理学の量子でたとえると、「量子重ね合わせ」の状態が「未分」で、0か1かに確定した状態が「分別」された状態とも言える気がしました。
そして西洋が得意な「分別」は、対立や紛争を引き起こす元であると同時に、科学を発展させてきた存在でもあるわけです。そして著者曰く、未分と分別どちらか一つだけではダメだというわけです。つまり、分別だけだと、どこまでも細分化していったところで解決できず、最後は精神病に陥る(これが西洋起源の近代社会の病気の源)。逆に東洋のように未分のままだけだと論理も合理性もない感情論的な議論に陥るからです。つまり理想は「分別しつつ分別するな」ということになります。逆に言えば、未分であることを体解しつつ分別するならよい、ということで、禅および仏教全般に話が及ぶわけです。
仏教には無と有、自力と他力、色と空など一見すると分別したかのような概念が登場しますが、般若心経でも繰り返し述べられているように、実は二分されていない絶対的な(未分の)無や空があるというわけです。色と空という二分を超越した絶対的な「空」で、著者はこの空の定義を「ゼロ=無限大」と呼びます。これは弁証法によるジンテーゼ=統合とも違います。そもそも分別されていない未分の状態を指しているからです。私自身は、この「ゼロ=無限大」を理解するにあたっては、著者が本書で解説する「如今鑑覚(にょこんかんがく)」という言葉が役に立ちました。この言葉は、「いま=ここ」という瞬間が無限の可能性を秘めていること、つまり空だが無限の可能性を秘めているというわけです。
そして著者は、西洋的な分別一辺倒の世界に明るい未来はない、そこに東洋的な思想を注入していくことで、よりより未来が開けていく、それに日本人は貢献していってほしいと願いを込めておられました。本書の中には難しいエッセイも含まれていますが、かなりやさしく書かれているものも多数ありますので、多くの日本人の目に触れてほしい本だと思いました。
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東洋的な見方(新編) (岩波文庫 青 323-2) 文庫 – 1997/4/16
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鈴木大拙(1870-1966)の最晩年-驚くべし,90歳前後-に書かれた思想的エッセイを収録した『東洋的な見方』を中心に,同時期の好文章を加えて再編成.世界にとって失われてはならない「東洋のよきもの」とは何か-文字通り世界に出て西洋を自らの生活世界とした著者が,身をもって探求しつつ生きたそのドキュメント.
- 本の長さ350ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1997/4/16
- ISBN-104003332326
- ISBN-13978-4003332320
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1997/4/16)
- 発売日 : 1997/4/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 350ページ
- ISBN-10 : 4003332326
- ISBN-13 : 978-4003332320
- Amazon 売れ筋ランキング: - 68,175位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4位鈴木大拙
- - 11位正法眼蔵
- - 89位日本の思想(一般)関連書籍
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2017年8月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『日本的霊性』は個人的にはちょっと難解でしたが、
『東洋的な見方』の方はわかりやすく書かれていて読みやすかったです。
『東洋的な見方』の方はわかりやすく書かれていて読みやすかったです。
2015年3月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
禅、仏教に興味のある人にお勧め。
かんりハードなので、よく眠れます。
かんりハードなので、よく眠れます。
2014年7月18日に日本でレビュー済み
西田幾多郎の『善の研究』や、木村敏の『分裂病の現象学』、同『分裂病と他者』や、他の木村敏の一連の代表的な著作と並んで、ぼくにとって、現在のところ、座右の書です。大拙は、ほかには『東洋の心』、『禅』、『無心ということ』などを読みましたが、大拙の本は、言葉の重みや、深さが違います。たとえば、一か月くらい大拙から離れていて、久し振りに大拙の本を読んだとします。ぼくの場合、大拙の本を読むと、あまり自分は大拙から離れているのはいけない、と思います。
ぼくは、大拙を読んでいて、とても切実なものを感じます。ぼくが一時期に感じていたことを、ある種の異常な体験を、大拙は文章にしてくれている、と感じます。「ある種の異常な体験」とは、なにか。それは、たとえば木村敏のいう「イントラフェストゥム的な、アウラ体験」と重なります。西田幾多郎のいう、「永遠の現在」というものとも、重なります。
ぼくはこの本に、赤線を引っぱりまくり、ページの角を折りまくっているのですが、どのような個所が特に素晴らしかったのか、というとたくさんありすぎて、いちいち列挙するわけにはいきません。たとえば、一つ短い文章をあげてみます。
「人間が人間である限り、人間が人間たらんと意欲する心のある限り、極楽は人間の住処ではない、人間は一度はエデンを出なければならない。」(p260)
「人間はエデンから一度は「ほうり出されねばならぬ」のである。」(p260)
ここにおける「エデンを出る」ということは、一つには、神経症に悩む、という読み方もできると思います。つまり、少しばかり正常でない精神状況に置かれる必要がある、ということになります。大拙は、「ねばならない」と言っていますが、ぼくは、エデンを出る、つまり神経症に悩むということがあると、役得がある、というふうに感じています。もちろん、役得などと言っていられない、失うものも多いことであるのは、事実であり、そこは見逃してはなりません。また、大拙の言っているような、「エデンを出る」ということを、すなわち神経症に一定期間悩む、というふうに捉えることは、短絡的だと責められるものであるかもしれません。しかし、ぼく自身、神経症に長いあいだ煩わされているので、こういう捉え方しか、ぼくにはできないということです。これはぼく個人の読み方なので、断定するつもりはありません。
また、シモーヌ・ヴェイユという人が言っていたとされる、「労働者にはパンも必要だし、バターも必要だろうが、それよりも詩が、英語でいうポエジィが必要」だということ、これは特に気に入っています。ちょっとした日常のことにも、詩をそこに見ることができるということ、その詩を見るということが、宗教だと、鈴木大拙はこう言っているわけです。
また、禅者は、人間生活そのものをもって、一種の美的作品に仕える。身体そのものを画家のキャンバスのようにして、生活様式がそのまま、美術的作品になる、ほんとうの創作はここで可能になる、人間が「生きて」いるといわれるのはこのとき以来のことである、というようなことも書かれてあり、これもとても気に入っています。
さらに、「永遠の生命などというが、そんなものはあり得ない。生命は移り変わるのが生命、移りかわるそのことが生命だから、そのほかに移り変わらぬものがあるとはいわれない。移り変わらぬ永遠の生命があるとすれば、その生命は生命でなくて、死そのものである。永遠の生命は永遠の死にほかならぬ。」(p145)という箇所も、気に入っています。
と、こういうふうに、いちいち気に入った文章をあげていくときりがありません。もっとも、気に入った箇所をいちいちあげていくなどというレビューの書き方は、低級なのだと思います。自分の言葉に落とし込み、自分の言葉で、この大拙の本の本質的な部分を、短い文章で要約できれば、それに越したことはないのでしょう。それが、レビューの書き方なのでしょう。
しかし、ぼくはこの本を「座右の書」としておきながら、じゅうぶんに読み込んだとは言えません。不完全な理解ではありますが、現時点での感想を書いてみようと思い、このレビューをいま書いています。とにかく、このレビューで伝えたかったのは、この本は、ぼくにとって、とてもおもしろく感じられた、ということです。
ぼくは、大拙を読んでいて、とても切実なものを感じます。ぼくが一時期に感じていたことを、ある種の異常な体験を、大拙は文章にしてくれている、と感じます。「ある種の異常な体験」とは、なにか。それは、たとえば木村敏のいう「イントラフェストゥム的な、アウラ体験」と重なります。西田幾多郎のいう、「永遠の現在」というものとも、重なります。
ぼくはこの本に、赤線を引っぱりまくり、ページの角を折りまくっているのですが、どのような個所が特に素晴らしかったのか、というとたくさんありすぎて、いちいち列挙するわけにはいきません。たとえば、一つ短い文章をあげてみます。
「人間が人間である限り、人間が人間たらんと意欲する心のある限り、極楽は人間の住処ではない、人間は一度はエデンを出なければならない。」(p260)
「人間はエデンから一度は「ほうり出されねばならぬ」のである。」(p260)
ここにおける「エデンを出る」ということは、一つには、神経症に悩む、という読み方もできると思います。つまり、少しばかり正常でない精神状況に置かれる必要がある、ということになります。大拙は、「ねばならない」と言っていますが、ぼくは、エデンを出る、つまり神経症に悩むということがあると、役得がある、というふうに感じています。もちろん、役得などと言っていられない、失うものも多いことであるのは、事実であり、そこは見逃してはなりません。また、大拙の言っているような、「エデンを出る」ということを、すなわち神経症に一定期間悩む、というふうに捉えることは、短絡的だと責められるものであるかもしれません。しかし、ぼく自身、神経症に長いあいだ煩わされているので、こういう捉え方しか、ぼくにはできないということです。これはぼく個人の読み方なので、断定するつもりはありません。
また、シモーヌ・ヴェイユという人が言っていたとされる、「労働者にはパンも必要だし、バターも必要だろうが、それよりも詩が、英語でいうポエジィが必要」だということ、これは特に気に入っています。ちょっとした日常のことにも、詩をそこに見ることができるということ、その詩を見るということが、宗教だと、鈴木大拙はこう言っているわけです。
また、禅者は、人間生活そのものをもって、一種の美的作品に仕える。身体そのものを画家のキャンバスのようにして、生活様式がそのまま、美術的作品になる、ほんとうの創作はここで可能になる、人間が「生きて」いるといわれるのはこのとき以来のことである、というようなことも書かれてあり、これもとても気に入っています。
さらに、「永遠の生命などというが、そんなものはあり得ない。生命は移り変わるのが生命、移りかわるそのことが生命だから、そのほかに移り変わらぬものがあるとはいわれない。移り変わらぬ永遠の生命があるとすれば、その生命は生命でなくて、死そのものである。永遠の生命は永遠の死にほかならぬ。」(p145)という箇所も、気に入っています。
と、こういうふうに、いちいち気に入った文章をあげていくときりがありません。もっとも、気に入った箇所をいちいちあげていくなどというレビューの書き方は、低級なのだと思います。自分の言葉に落とし込み、自分の言葉で、この大拙の本の本質的な部分を、短い文章で要約できれば、それに越したことはないのでしょう。それが、レビューの書き方なのでしょう。
しかし、ぼくはこの本を「座右の書」としておきながら、じゅうぶんに読み込んだとは言えません。不完全な理解ではありますが、現時点での感想を書いてみようと思い、このレビューをいま書いています。とにかく、このレビューで伝えたかったのは、この本は、ぼくにとって、とてもおもしろく感じられた、ということです。
2017年4月29日に日本でレビュー済み
当時の「現代」の東洋とくに日本に生きる人間が従来の古風な東洋的な感じ方、考え方、それらに基づく習慣を忘れ始めていることを念頭に置いた記述の数々です。
無論、禅に関する文叢からの引用、使いまわしは自由闊達を極めています。
でも、どこか「現代」人に対する遺言めいた意味も看取できます。
坐禅に直接赴くべし、と思っていたでしょうね。
好篇。
無論、禅に関する文叢からの引用、使いまわしは自由闊達を極めています。
でも、どこか「現代」人に対する遺言めいた意味も看取できます。
坐禅に直接赴くべし、と思っていたでしょうね。
好篇。
2015年12月20日に日本でレビュー済み
著者は21歳で禅の世界に入り、27歳で渡米し米国人女性を妻に迎えた人物。本書は著者の最晩年の90代の時に書かれた。
本書は大きく言うと「禅」と「東洋と西洋の違い」の2つについて書かれているように思える。禅に関しては自分のような素人にとっては訳が分からなくなってしまうところが多々あり、奥の深い世界の一端を垣間見ただけといった感じ。一方の東洋と西洋の違いは、東洋と西洋を体験した著者ならではの内容が書かれているが、もう少しわかりやすくて、非常に興味深く読むことができた。
本書は大きく言うと「禅」と「東洋と西洋の違い」の2つについて書かれているように思える。禅に関しては自分のような素人にとっては訳が分からなくなってしまうところが多々あり、奥の深い世界の一端を垣間見ただけといった感じ。一方の東洋と西洋の違いは、東洋と西洋を体験した著者ならではの内容が書かれているが、もう少しわかりやすくて、非常に興味深く読むことができた。
2004年5月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
学生時代、鈴木大拙に初めて触れてから、すでに20年以上たつが、未だにすべてを理解することができない。ただ、彼の思考に触れるたびに、仮に同じ書物を読み返す場合であっても、自分の思考が確実に深まることを実感できる。経営の現場にいて、特に米国生まれの概念や手法に触れるたびに覚える違和感の源泉を解明する鍵がここにある。彼の書籍との付き合いは、一生続くと思う。日本人として誇るべき偉大なる先達の労作である。
2013年6月9日に日本でレビュー済み
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大学院のレポートに必要で購入しましたが、実際のレポートには
引用しませんでした。
引用しませんでした。