中江藤樹門下であり、備前岡山藩において農民に厚い藩政で高い名声を得ながら、幕府の反感を買い流浪の末に下総に幽閉されて死んだ熊沢蕃山の代表作「集義和書」と「大学或問」とが収録されている。冒頭の和歌は理不尽な境遇に置かれながら、それすら修行の一環であること(「君子は順にあうては物をなし、逆にあうては己をなす」)を詠った蕃山の句だと言われている。
当時は日本における漢学の黎明期であり、衆知を得るために和文の問答形式にするなどその苦労と独創とを読み取れる。そして宋学をそのままでは日本の実情に合わないという当たり前の事実に向き合い、これを道と法とに分けて「道」を普遍の真理とし、「法」は「時・処・位に応じて」定めるべきものとした。これだけなら都合よく書き換えただけのようだが、人倫日用・経世済民の実学にするために和漢の学を博く調べて構成しなおし、荻生徂徠をして「蓋し百年来の儒者の巨擘、人才は則ち熊沢」と言わしめた。蕃山自身は「愚は朱子にもとらず、陽明にもとらず、たゞ古の聖人に取て用ひ侍るなり」と述べ、異見を立てているように見えるが「これ又心法の実義也。先師(藤樹)と予とたがはざるのみならず、唐・日本といへ共たがふことなし」と主張している。
蕃山は生前すでに高名であったために、その説を自分のオリジナルであるかのように騙る人がいたらしく、そのことを指摘されると、「予が言としられて世に益あらんも、人の言と成て助あらんも同じ事也。予が言はなを人の言のごとく、人の言はなを予が言のごとし。共に天の霊明より生ず」と応えて気にも留めなかった。人知らずして慍みず、亦た君子ならずや。蕃山は聖学の一つの完成された人物と言えるだろう。
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